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私が施術致します!! <院長 myストーリー>

木下 大輔(きのした だいすけ)

確かな知識と技術で、
御縁あった方の健康と美を全力で
幸せに導く

~姿勢と体幹・骨盤のスペシャリスト~
施術家Daisuke.K

国家資格:柔道整復師、はり師、きゅう師
国際資格:Diploma of Remedial Massage(世界50ヶ国と地域で認知されている国際資格)
認定資格:BMK整体協会 認定セラピスト
※BMK整体協会(http://bmkbiken.or.jp/)とは、国家資格保持者だけで構成する整体協会で、全国に300名の国家資格者が加盟しています。
経歴等:延べ50,000人以上の施術実績、17年のベテラン施術家で一般の方から著名人の施術を経験。スポーツ分野では、長野県のラグビー県選抜の帯同トレーナー、ラグビーオーストラリア代表のコンディショニングケアの実績。介護分野では、在宅高齢者の訪問鍼灸及びデイサービスの開設。社団法人BMK整体協会代表理事の大澤訓永氏に直接師事し、『人の身体に触れる以上は、相当な知識を持って接しなければならない』と教えられ、実際の身体は3Dの立体、勉強する教科書は2Dの平面、この差を完全になくし、より研鑽を積みたいと渡米を決意、アメリカ合衆国州立ハワイ大学にて、人体解剖実習を受講して解剖学(人体の構造学)、生理学(人体の内臓機能)を学ぶ。現在も月に平均4回以上、国内外の研修に参加して知識と技術の研鑽をする。全ては、御縁ある方への還元の為に。

誕生から幼少期

昭和57年5月、長野県飯田市竜丘に誕生。(開善寺の近くです)
木下家の長男坊で、祖父にひたすら可愛がられる。
この時から祖父が私に魔法の言葉をかけ始める(魔法の言葉は後の方に出てきます)。
よだれがダーダーの子でいつもタオルを顔に巻かれていました(笑)。
そのせいで、口の周りもほっぺたの辺も赤かった為か、しばしば女の子に間違われる。
得意技は、起き上がりこぶしの人形をひたすら蹴ることと、首ブリッジ。

その後、年中から弟と一緒に竜丘保育園に通園し始める。
性格は、明るく、ひとなつっこかったの、ですぐに沢山友達が出来始め保育園が楽しくなる。
但し、お昼寝の時間は、全然眠れなくて、退屈する(先生が園庭を掃き掃除しているのをずっと眺めていました)。

得意技は、サラサラした泥団子の制作、サッカーをしていたボールを園舎の屋根に乗せること。
そして、この時期に父のゲーム機(多分、ファミコンです)が私たち兄弟に見つかる。
そのおかげで、年中からゲーマーになりました(笑)

少年期からの学生時代

小学校は、竜丘小学校に入学。
今では、保育園の送迎は当たり前だが、私たちの時代は、自宅から保育園まで歩いて登園していたので、保育園のほぼ隣にあった小学校まで余裕で歩いて登校する。

この時の得意技は、小学校西側の石垣のフリークライミング、地元の急な長い坂道をみんなでおもちゃのブーブー車(幼児が乗るやつです)で滑走すること(よいこのみんなはマネしないで下さい)。
また、6年間、運動会でリレーの選手でした(はい、ただの自慢話です)。

そして、ここから、超多忙な学生生活を送る。
少年野球、スイミング、書道、バレーボール、卓球、趣味の土器集めと古墳巡り(竜丘は古墳が多いですよね、土器集めは半端なかったです。なぜなら年式まで分かっていました。)、中学では、サッカー、山野草の研究、高校では、ラグビー(これだけのものを色々経験させてもらえたのは、両親への感謝で一杯です)。
特に身体を動かすことが大好きだったので、多くのスポーツの経験は、現在の施術家人生に大いに役立っています。
なぜなら、その経験があるからこそ大抵のスポーツの動きは、運動学や機能解剖学とリンクして理解して施術できるからです。
また、スポーツに怪我は付き物だと言われますが、この期間の怪我で接骨院や鍼灸院に訪れたことが、私の施術家になろうと考えるキッカケにもなりました。

でも、子供の頃の夢はお寿司屋さんになることでした(笑)
よく、母方の祖父がお寿司屋さんに連れて行ってくれたからだと思います。
その時、エビを食べ過ぎたせいか、今では甲殻類アレルギーですが(笑)

中学校は、緑ヶ丘中学校に入学する。
この時期、反抗期を迎える。世間一般に言うヤンキーではなかったが、そうゆう友人が多かったので、先生方には嫌われる。
しかし、お陰で反骨精神が養われる。
柄の悪いのといるから勉強できない!というのが、先生方の指導時の論法だったので、自分は、柄の悪いのといても、勉強できる奴になってやろうと反骨精神でひたすら勉強する(人生で2番目に勉強しました)。
結果、先生たちにもっと嫌われる(笑)
そんな嫌われ役だったため、内申点上げようと生徒会の役員に立候補するが、先生方の陰謀により落選する(生徒会役員は、会長の指名により選任されるが、会長が友人だったため指名には入れたが、最終選考の先生方の審査で落ちたと、後日、会長の友人から聞きました)。

部活はひたすら熱心に取り組む。
足が速いだけの点が取れないFWだったが、チームで県2位になる。
チームプレイの素晴らしさを学ぶ。

因みに、この時の得意技は、指定の通学用の鞄の厚みをどこまで小さくできるかの限界突破に挑むことと、保健室で不登校の子と朝からお茶会すること。
また、記憶力が良かったので、顔と名前が一致したこと(マンモス校だった割にはよく一致したと思っています)。

高校は、飯田高等学校に入学する。
田舎の進学校だったが、ひたすらサボる(笑)。
結果は、ご察しの通り。

友人の誘いでラグビー班に入る。
足の速さだけが取り柄だった為、ウイングに抜擢される(ただ、楕円級のキャッチが苦手でした(笑))。
また、ラグビーは、接触プレーのあるスポーツの中では、アメフトと並び、怪我の多発するスポーツです。この時期の怪我やラグビーのスポーツ特性は今の施術に大きく役立っています。

得意技は、教科書に漫画を挟んでばれない様に読むこと(笑)。

専門学校から勤務・開業時代

10代後半、上京し、学校法人花田学園(鍼灸や接骨院の先生になる為の学校です)に在学中から整形外科、鍼灸接骨院に勤務し、外傷(スポーツのけが等)を多く経験する。
この時期はスポーツトレーナーになりたいと考えるようになり、東京で仕事していこうと考える。

また、東京在住中、途中でホスピタリティーの勉強の為、飲食店などのサービス業でおもてなしの心の研鑽をする。しかし、祖父の魔法の言葉により、段々地元に帰りたくなる。
(実は、祖父の魔法の言葉とは、小さい頃からずっと言われていたのですが、『お前は、惣領(跡取り)だから、家を継がんとダメなんだぞ。』といつも優しくささやかれていました。これ、完全なるマインドコントロールです(笑)。そのせいか、東京に骨を埋める気持ちでいたのに段々、東京にいることがわびしくなって帰郷してしまいました。)

帰郷後、地元で接骨院に勤務し、来られる多くの方が高齢者であることを実感する。
田舎の施術院の現実は、自分が夢見ていたスポーツ分野ではないことに氣付き、夢とのギャップを感じ始める。
疑念を抱きながら自分がマッサージマシーンと化していく。

その後、27歳で飯田旧市街地になみき接骨院を開業する。そして、その2年後にリハビリ専門型デイサービス『殿岡のりんご』を開設する。
(デイサービスは、元々、家庭介護者の軽減負担の為の利用者さんを預かる為の場所です。家庭介護者の負担軽減も大事ですが、そのような施設は既に沢山あったため、自分に出来ることは何かと考えた結果、接骨院に来ていた高齢者の方々もそうですが、誰もが人の手を借りたくない、自分で出来ることは自分で何とかしたいと考えておられた為、利用者さん一人一人に個別に計画を立案し、独自の運動メニューとリハビリメニューで生活の質を上げ、健康寿命を延ばすような施設を創りました。)

近況から現在

接骨院を開業して数年後、氣付けば、ただのマッサージ屋さん。
訪問施術に行ったり、ご縁あって、ラグビーの県選抜のトレーナーをするも、本当に目指すべきところはそこなのかと疑問に思うようになる。もう一度勉強し直そうと決意する。
そして、平日の業務後の勉強だけでは追いつかず、休日返上で、セミナーや研修に参加しまくる。(この時から今までが、人生で1番勉強していると思っています。この時期は本当に紆余曲折の時期で、離婚もしました。新しい家族とも巡り合いました。今でも平日の研修から休日の研修で家族を犠牲にしていますが、応援してくれることに感謝しています。)

そして、親しい人の死から『健康』というものの尊さに改めて氣付く。
健康は当たり前じゃない。
健康の平行線上に幸せがある。
世界中の人を当たり前のように健康にして、幸せに導きたい。
この時、自分の目指すべき方向が決まる。

接骨院は、本来は急性外傷しか保険が適用できません。
急性外傷とは、急性痛のある怪我のことで、具体的には捻挫、打撲、挫傷(肉離れ)+脱臼、骨折(但し、骨折、脱臼は医師の同意が必要)などの怪我のことです。
さらに、『いつ、どこで、誰が、何(どの部位)をどのようにして痛めたのか』の4W1Hが明確な怪我にしか保険は適用されません。従って、慢性痛には保険が適用できません。なぜなら、慢性痛は4W1Hが不明確だからです。この4W1Hが一つでも欠けていたら保険は適用できません。
そして、慢性痛の方が急性痛より世の中には断然多いのが特徴です。
急性痛は、受傷原因が明確な為、ほぼその部位だけ施術していれば、緩解します。これが、急性痛の根本療法です。
しかし、慢性痛は、そうではありません。急性痛の様に痛みのある部位だけ施術していても、一度は、良くなりかけますが、また、再発しやすいし、痛みが取れないことがあります。
つまり、急性痛と同じような施術では、対処療法にしかなりません。
私は、勉強していく中で、慢性痛の根本療法は、姿勢や身体の軸(骨盤、背骨、足)の調整が重要であると考えるようになりました。なぜなら、構造躯体である骨の軸がしっかりしていれば、身体に余分な筋肉の負担がかからないからです。

例えば、2歳くらいの子を想像してください、筋肉はありますか?ないですよね?
でも、ちゃんと立つし、歩けます。筋肉なくても構造躯体の骨の軸がしっかりしていれば、立てるのです。
これが、現在の施術の原点になっています。

そして、身体の軸(骨盤、背骨、足)や全身の筋肉を調整して身体を整えることで、御縁あった方の身体を健康にして、幸せに導くために、35歳で院を飯田旧市街地から移転して、この地、育良町に改めて、整骨院兼整体院である『美健整体ラボ B-Style:』を開業しました。

また、健康と美しさは同義だと考えています。
美しい軸の形成は、健康であり、健康な人は美しいという『美健同源』という、師である大澤訓永氏からの教えも私の院のコンセプトになっています。

因みに当院の名前の由来である『B-Style:』ですが、これにはちゃんと意味があります。
詳しくは、当院の名称とロゴの由来のページをご参照ください。

一部だけ触れます。
『B』は、5つの外国語の頭文字です。
①『Body』(英)、②『Beauty』(英)、③『Breath』(英)、④『Brain』(英)、⑤『Bonhuer』(仏)の頭文字です。
意味は、順番に①『身体』、②『美しさ』、③『息』、④『脳』、⑤『幸福』です。

つまり、確かな知識と技術で、身体にアプローチすることで、身体の構造を正しく整え、身体の構造が整うことで、内臓が正しい位置に戻り正常に機能するように導き、内臓の支配神経である自律神経が改善されることと、身体の構造が正しくなることで呼吸(息)の質と量が改善して、基礎代謝や免疫機能が上がり、より人体を健康に美しく導き、整体で身体にアプローチすることで、脳に正しい姿勢や軸などを再教育して、再発を予防し、御縁あった方を幸福に導き、その方の周りも幸せにすることが当院の目標です。

長文をご拝読いただきありがとうございました。
これからも日々の研鑽を積み、御縁あった方に笑顔になって頂くために精進に努めていきたいと考えています。
これからも、整体院『美健整体ラボ B-Style:』を宜しくお願い致します。